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鏡祭月の想いで二題 あの城が私を呼ぶ秘密は
今、目の前にあの城が見える。長良国際会議場の最上階にある国際会議室から、走るように暮れてゆく秋の夕刻に身をおいて私の心は波立っていた。岐阜と私と個人的なつながりがあるわけではない。ゆらり流れてゆく長良川のゆくえと金華山のやまと絵風なかたちに山頂の城のたたずまい。私はその美しさに単純に感動しているのではない。むしろ、寄せてくる無常観に抗っている自分。
今、再びあの城を見上げている。心のうちに浮かんでくるのは「鐘に怨みはいろいろござる・・・」の道成寺の一節。この感覚はどうしたことだろう。過ぎ行く秋の美しい時間なのに。目を閉じてみる。難攻不落と呼ばれたあの城を築いた者、攻め上った者たち、女達の哀しみの情念が薄霧のように取り巻いていた。典型的な現代建築のこの建物から城を見上げる角度。私はアっと声をあげた。敵の追い討ちから密かに城を離れ、時ならぬ鬨の声に思わずふりむいたとき愛する城が紅蓮の炎の中に悲鳴をあげていた。その無念と絶望の想い。 川べりにはすすき、セイタカアワダチソウ、女郎花が月光の中にゆれています。中腹はまったくの闇で、あたかも夜空に浮いたような稲葉城は薄ら寒い大気の中で静謐な乙女のようにみえます。微笑んでいるようにさえも。 いつの間にか傍らにいた友人が何気なく「ここはね。元はと言えば守護大名土岐氏の所領だったけれど、斉藤道三によって滅ぼされてね。」そんな話を他人事のように聞き流しながらも、自分の苗字がtokihiroであることと土岐氏のtokiとの関連を探ろうとする自分がいることを知り愕然とするのだった。 月はすでに中天を過ぎて秋虫の声だけが高く響いている。
岐阜県岐阜市・長良国際会議場にて 3年後の写真集の完成をめざしている。第一作目は「曳く月 戻る太陽」という名を与えられた。日本よりむしろ海外で受け入れられた作品集は四年の歳月を費やしたものだった。あれから三年が経った。
私は人を待っていた。樹を伐採し草を刈り、開けた場所に建つ東屋の縁側に座って。そして眺めていた。木立の向こうに消えてゆく白い雲を。灯火のように燃えているかえでや漆、それからそれから秋草を。日本の秋だった。心の中の箍が自然に解かれてゆくのがわかる。傍らの清流の音も鳥たちの声も風は里へと運んでゆく。音が見える。素直に〔在る〕世界に身も心も委ねてゆく。 めまいを感じた、と思う間に全ての風景から無数の生命のどよめきが私に向かってきた。木々だけではない草花から岩や石ころに至るまで全てのものが自分の歴史を語りはじめたのだった。 混乱する頭の片隅で、この状況は宮沢賢治の童話や民話のなかで熊や兎やフナやカエル達が話をし、草や花や露や風が泣いたり喜んだりするあの世界なのだと理解してゆく。ああ この世界を知るのに私には46年という月日が必要だった。 作り話でもなく、勝手な想像でもなく確かにあの純朴な世界は存在した。それを身をもって実感できていることを限りなく何かに感謝したい気持ちだった。私は笑っていた。そして泣いていた。また一つ、こころの宝物とであった私である。 このときの撮影の作品の一枚は、来年2月23・24日の四つの花の会〔イデア〕に使用する予定である。行く先々で出会う人や風景やこころ。一つひとつ扉を開けて進んでゆく。私は時広真吾の人生を面白いと思い始めている。
福島県福島市荒井字横塚 ゆず沢の茶屋にて |