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国際シェイクスピア フェスティバル旅日記
25日:ここは青葉、若葉の季節そして夏。日中は28度!まで気温があがる。けれども空気が乾燥しているので過ごしやすい。北海道みたいな感じだろうか。街に生活用品を買出しに。東洋にはない屋根の形、西ヨーロッパとも違う独特なそれは、東欧と呼ばれる地域の共通なものだろうか。街の中心に近いホテル。人工10万のクライオーヴァ。勝手にホテルは古い木造で、ロマンティックなインテリアと決めつけていたのだが(というのは、わたしはどこでも自分の作品を撮る機会と場所を探しているからなのだ。)、全くモダンなホテルだった。シンプルで押付がましいインテリアがないのが、逆に過ごしやすい。
この街では日本人が珍しいのだろう。あちこちで人々が興味深そうにこちらをみている。
フェスティバルでは毎日招待されたカンパニーの舞台が上演される。この日はサンクトペテルブルグのチェーホフ劇団の「十二夜」は軽快な演出で男性だけの劇団。終演後のレセプションで団員の27歳の若者と話したが、6歳から芝居をやっているという。言葉がわからない分、周囲の反応とのギャップが大きく、笑える仕草でないところで笑いが起きたりすると、なんだか置き去りにされた気分だった。日本から行ったメンバーでも、シェイクスピアのセリフを知っている者は楽しんでいたようだった。
26日:同じ演目をクライオーヴァ劇場のカンパニーが上演。チェーホフ劇団はルーマニア人にも言葉が分からないだけに、同じ条件(字幕はでていた)のため、動作、振り付け、音楽などで結構笑えたけれど、こちらのカンパニーの演出はこれが、喜劇?と思わせる演出で、それでも観客は何度も笑っていて受けていたのだから、やはり、言葉を理解できないことが、災いしていた。
西洋において、演出家と同時に舞台美術および衣装デザイナーは舞台にともに上がるほど、舞台創作の一翼を担う存在として社会的地位の認識がされていますから。結果は呼ばれることなく楽屋で衣装の整理をつづけていたのでした。これが普通なんだと自分を無理に納得させようとする自分。照明や音響、舞台監督は・・・。そう考えると私の心のさもしさに自己嫌悪に陥るのです。
30日:クライオーヴァを出発してブランへ。ドラキュラ城のモデルともなったブラン城近くのペンションを借り切っての宿泊。昨夜はメンバー二人とイタリアンレストランで食事。この能楽堂シェイクスピアシリーズに関する様々の誤解が解けていった。新しい出会いとこれからのこと。首都ブカレストでの2公演が成功裡に終ることを祈る。
差し込んでくる5月の光。時折すれ違う荷馬車、道路を横切るのんびりとした牛やあひるの群れ。車は何度も折れ曲がる道をズンズン山を登っていく。高地で樹木は平地のように若葉を吹き出していない。だが、地面を覆う草花たちはすでに春の色。うらうらと心地よい揺れの中、幸せな眠りにおちた。
5月1日:カラパチア山脈(ヨーロッパとアジアを隔てる山脈)は、東ローマ帝国が滅び、トルコが攻めてきたけれど、この山脈が自然の城壁となりローマニア(ローマ人)は、そのまま残されることとなった。それが、この国ルーマニアの名の由来だ。昨夜、ホテルの一室に自然とみんな集まり、新潟の役者たち、今後のあり方について外部スタッフの思いが素直に吐露されてゆく。新潟発信をスローガンに始まった様々ない主催事業の中で、この能楽堂のシェイクスピア シリーズは始まった当初、このような展開になるとは誰も予想しなかったのだった。東京でフリーで厳しい舞台の世界で生き抜いている外部スタッフたちの厳しい意見は、新潟のメンバーたちには耳に痛いものだったに違いない。どこかしら、観光気分の浮いた感覚。守られた環境での舞台活動の無自覚。それは、しかし、学生が大半の彼らにそれを理解せよということが難しいのかもしれない。ただ、りゅうとぴあのこの舞台が今後さらに充実したものになって欲しいと願う外部メンバーの熱い想いが、酌み交わされる杯を重ねるにつれて高まっていた。
3日:ブカレスト初日。昨日のリハーサルで衣装の一部が、舞台上に設置した本火によって焦げるというアクシデントあり。また照明の関係で紙ふぶきが見えないなど、いろいろとトラブルを抱えての本番。幕が下りたとき、観客からは大きな拍手が・・・。クライオーヴァでの大成功の噂はすでにブカレストに伝わっていて、人々も期待していた。この時既に演出家は別の舞台の演出のために帰国していた。クライオーヴァと違い上演後のレセプションもなく、観客との交流や意見交換もないままこの日はホテルへ。なんだか「好評だよ」という話が、実感をもってこない。
6日:ルーマニアを離れる日。青い空と白い雲と柔らか新緑の輝きに満ちた一日の始まり。日本では「薫風」という風が吹き抜ける美しい季節。一日はアムステルダムでトランジット。それから日本へ、新潟の凱旋公演でこの旅が終る。
(ブカレスト/ルーマニア)
新潟の凱旋公演の打ち上げで――――
「この瞬間にも世界で悲しい出来事が起きています。私たちがこの旅で多くの人に喜びと感動を与えることができた時、同じ時、誰かが救われ、希望を抱いてくれたと私は信じています。いまだ悲しみに溢れているこの星で私たちはこの仕事に誇りをもってこれからもいい舞台を創っていきましょう」と実感を込めて挨拶をしました。
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