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あれからとこれから
夢のような「世界」のパフォーマンスから、ゆっくりとする間もなく「メディア」の舞台にとりかかっています。特番として奈良放送で放映された夜、翌日と多くの方々から、温かいお電話やらメールやらをいただいて、7日には「世界」そのもののDVDができたというので、その試写会の為に徳島へと行きます。
21周年を迎えた五月。私の中で大きな決断と希望が交差しています。この旅情を書いている今も既に、その決断のよって私は「情」に絡んだ中途半端な仕事ととは別れて新しい出会いによる次の段階の仕事への準備をしています。出会いは限りなく続いていくでしょう。あの「世界」を体験したことで自分の「仕事」をより、公的なものと意識するようになりました。「舞台衣装は神聖なもの」といわれます。でも、現実は日常の服と変わらない扱いをされ、それ以下の扱いさえされることもあります。それは何故?それは創り手にも問題があるのではないか。そう思うこともあります。単なる仕事としてベルトコンベアー式に淡々とつくられ、芝居が終われば廃棄されてしまうものもある衣装たち。それは儚い運命を背負っているモノたち。創り手がその作品にどれだけの思いを込めているのか。それによって、表現者たちは身に纏った時「何かが違う」と感じるはず。創造に対する崇敬の念とでもいえばいいのだろうか。自分を律すること。その大切さ。
22年前、静かに漕ぎ出したリリックという名の小舟。21周年になってもその行方は知れず進んでゆきます。柔らかな明るみの霧の中でも、巨大な滝の傍らを通るときも、暗闇でも不思議にこの舟は停まることなく進んでいきます。まるで一つの意思をもったように。
一人の友人が私の作品集のDVDを学校で教材にし、ゼミの学生たちと討論をして、そのレポートを送ってくれました。私自身が驚くような若い彼らの洞察力。また友人から誘われて「世界」を見に来てくれた方が「明日から仕事をやるぞって気持ちになった」と話していたとか。リリックがつくる小さな漣が、丘の上に立つ鐘楼から響く、美しいチャイムのように広がっていきながら、人々の心に何かしらの「希望」を届けることができたら。気付かせることができたならば。私自身が衣装デザインを通じていつも大切なことに気付かせられているから。それは自分との闘いであるのです。
2013年4月、【リリック25周年記念パフォーマンス】は時広が満を持して東京で開催します。私は相変わらず、出会ったアーティストたちやスタッフたちに言っているに違いありません。「時広と出会ってお金持ちにはならないけれど、面白いことはできるんだよ!」と。どうぞ、見守っていてください。
(東京:鶉月) |