|
往く時間(とき)を眺めている瞳
夢のような・・・。いいえ、そこに複数の人間がいて仕事となれば色々あります。その場へ捨てていきたい気持ち、熱い気持ち、大切に心にしまう気持ち、万華鏡のように交差する感情が私の心を掻き乱したり、平穏に導いたりしてくれます。一日毎に場所を変えながら、ふと、気がつけば目の前には秋の穏やかな海が広がり、紅葉を始めた山々の稜線が、光と戯れる湖面が私に語りかけてくれるよう。孤独?いいえ、幸せ、満たされた感覚。見ることも触れることもできない時間というものを私は過ぎさる美しい風景の向こうに見ていたのかもしれません。長い旅を終えてリリックのあるいつもの駅に降り立ったとき感じた(また通り過ぎていく街に辿りついた)という旅人特有の感情。拘らない、流れていくままにして執着しない、どこかしら達観している自分。人まかせ風まかせ。
旅の途上で、携帯に入ってくる仕事以外に予期せぬひとの死や歓びのニュース、恋の悩みに、仕事の悩みなどなど、きっと、私の携帯電話の中を覗けば人生のカーニバルみたいに色んな花火が上がっているに違いありません。
移動の時間がつづけば、私の性根みたいなものが自然と現れてきます。それは、「無常観」。つらいことがあれば、(方丈記)の冒頭を読んでは慰めていたし、平家物語の冒頭の「祇園精舎の鐘の声・・・」を諳んじていた青春時代でした。時に対しての絶対的な信頼がある、そんな気がしています。生きている「この世」から、彼岸の世界にまで思いは自然と広がっていき、「死」が他人事ではなく、自分のこととして実感できるようになってきたこと。それは紛れも無い現実で、私は恐怖や暗いものと思わない。むしろ救いとか希望と感じています。
アトリエで特別にプライベートなセールをしています。訪れて下さった方たちは今回のセールに「縁」がある方たち。接客のうちにもその数だけドラマがあります。今日こられたアーティストは11月に舞台をご一緒する。彼が「音楽や舞踊だけでなく、衣装で完成していく舞台なんて楽しみだなあ。時広さんは神様がついているから大丈夫?!」と。きっと私がいつも「美の神様」と呪文のように唱えているからなんでしょう。限りなく続く出会い。お客様をおくり一人アトリエで、行き交う車の音やクラクションを聞きながら私は今日も旅を続けています。微笑む時間(とき)を友として。
(神無月 東京) |